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麦から生まれたもの 秦 秀治さん

濃い麦色のビールにホップの実(毬花)をポトリ

お手製のトルティーヤで迎えてくれた西野町の秦さんは三原の地ビール『虹之麦酒』の生みの親です。ビールを作ることになった経緯を伺いました。

麦との出会い

秦さんと麦との出会いは農業関係の出版社に勤めていた二十歳の頃。本を売る営業で群馬県を訪れた時の事です。その地域は大手のビール会社との契約で決まったビール麦を作る農家が多かったのですが、一軒だけ自分の好きな小麦を作っているおじいさんに出会いました。

話を聞くと、
「決められた品種だけを育てるのは面白くない、自分の好きな小麦を植えたい」
とおじいさん。
「本は買ってあげられないが、うちの麦まんじゅうを食べてみなさい」
とくれた麦饅頭を食べて 「麦がこんなにおいしいとは!」 と感動したのだとか。
それまでは、小麦の味を意識することはありませんでしたが、その麦まんじゅうは小麦そのものの味がして、美味しかったそうです。小麦といえば外国産が主流の時代でしたが、そこで国産の麦のおいしさを知りました。

その後、養父母が亡くなったのをきっかけに農地を継ぐことになり、初めて植えたのが『麦』でした。農業経験はゼロでしたが、「定年退職してから農業を始めるのは身体がもたないよ」という仲間のアドバイスもあり、11年勤めた会社を退職して、農業を始めました。当時は農業だけで食べていくのは大変で、郵便局に勤めながら、荒廃地を開墾して農地を増やしたり、養鶏を営んだりと一所懸命に働いたそうです。

モチトウモロコシの思い出

子供の頃は動物学者になるのが夢でした。
学生時代にカワウソの研究調査で高知へ行った時のこと。そこでお世話になった民宿のおかみさんに『モチトウモロコシ』をごちそうになりました。それはおかみさんが嫁入りの時、実家から持たせてもらった種で、毎年種を取って、絶やさず育ててきたものでした。
「母から娘に受け継がれる種をかっこいいと思った」
と秦さん。
どんな種でもその土地に根付くとは限りません。その土地の風土に合い、育てていく人がいるからこそ続いていくのが、その土地に根付く在来種なのかもしれません。
「いつか自分の麦も西野の在来種になるといい」
と秦さんは語ります。

麦から生まれたもの

農業を始めて知ったのは「作物を作ることによって生まれる生き物がいる」ということでした。
麦畑の藁はカヤネズミの住処を作り、それを狙って蛇がきます。小麦を狙って雀が来るとそれを狙って鷹や鷲もやってきます。
生まれるのは生き物だけではありません。

荒地を農地に変えて作物を作ることで、散歩に来る人との会話も生まれました。 麦作りをはじめてつながった『環境ネットワーク三原 』とは、作った麦でピザやうどん、麦みそも作りました。 収穫した麦を粉にする為に製粉機を導入した際には、天ぷら油を使って作動するディーゼルエンジンで製粉作業を自動化し、その様子をブログにアップしました。すると、埼玉県から「見学をしたい」と視察に来られる方も。その時の縁で、ビールの加工会社を紹介してもらい、一気にビール加工への道が開かれました。

西野で生まれたビール

こうして出来上がったビールのラベルには麦の種まき時期を知らせるジョウビタキと、秦さんの奥様とお子さんの土振るいの様子もシルエットで描きました。虹之麦酒の文字は西野の西福寺のご住職にお願いしたものです。そんな西野のこだわりが詰まった虹之麦酒。皆さんの応援をもらい、『三原の地ビール』という自信と、がんばろうという気持ちが芽生えたそうです。
「小さな農業だからこその有機的なつながりを大切にしたい」
と秦さん。
麦作りから始まった縁がこれからも新たなつながりを生んでいきそうです。

虹之麦酒について

西野町で育てられた麦と、瀬戸内らしいシトラスの香りのする品種を選んで育てたホップで作るビール。加工はビール会社にお願いしていますが、出来た麦を発芽させるまでは自分で面倒をみるので大変なのだとか。
生きた酵母を使う為、飲む時期や保存方法で味が変わるという『ビン内発酵ビール』は酵母の濁りが特徴。西野で作られた“にじの”ビール。麦の香りを存分に愉しめます。
虹之麦酒は『道の駅 みはら神明の里』で販売の他、居酒屋『六文銭』でも飲むことができます。

文:西本智加

この記事は、2020年3月発行の「シニアNOWNOW Vol.2」に掲載したものです。
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