11月に入った「亥の日」に近い日曜日、子どもたちがひもを引きながら「石」を家の庭に打ちつけて跡をつけ、無病息災や家内安全を願う行事。各地で見られるが、歌や方法は様々である。
今回は宗郷町の町内会長の木原一充さん(写真左)と、こども育成会会長の宮岡将夫さんにお話を伺いました。
子どもたちが活躍する行事
“♪亥の子さんと言うひとは 一の俵をふんばへて、二でにっこりわろうて 三で…” という子どもたちの元気な歌声とともに、ひもで繋がれた石が庭に3つの円状の跡をつけた。これは無病息災、家内安全を願う「亥の子」という行事です。全国各地に見られるそうですが、今回、全軒を一日かけて回る伝統があるという三原市宗郷町を訪れました。
庭の土に跡をつけるほどの重さのこの「石」は、周りにつけられた輪にひもがくくられる構造だ。
10kg以上あるという「石」を子ども達8人ほどで、ひもを引っ張りながらつく。誰かが強く引いては、上手く跡がつかないため、年長の子の調整のもとチームワークが試されます。
子どもは小学3年生から中学3年生までの男女で、祭りの日は約30人の子供が3チームに分かれて町内727軒を朝から晩までかけて回ります。最初はうろ覚えだった歌も、お昼ごろにはすっかり覚えてしまい、元気に歌えるようになりますが、さすがに何十件も回った夕方には「座りたくなる。」とヘトヘトです。そんな子どもたちの元気の秘訣は、各家を回ってお礼に頂く金銭が分配され、お小遣いになることでした。それだけに、新型コロナウイルスの影響で中止になってしまった今年は、子どもたちも寂しがります。
取材の日、子ども育成会会長の宮岡将夫さんの掛け声で、特別に集まってもらった子どもたちは、一年ぶりでもしっかり歌を覚えており、見事なチームワークで庭に3つの穴の跡をしっかりつけてくれました。
昔と現在
昔といっても起原は分からないそうですが、少なくとも130年前にこの地域が「田野浦村」だったころからあり、女の子の桃の節句と対となる男の子による秋の行事でした。
しかし、現在は宗郷町に家の軒数が増えた一方、子どもの数は減少傾向です。昔は、女の子が会計役として玄関先でのやりとりを担っていましたが、時代の流れもあり、つき手として参加するようになりました。
昔は6チームで回っていたので夕方から始めても夜には終わり、その後は年長の子の家で会食をして解散となっていたそうです。冬の入りを知らせる行事とも言われ、「亥の子をついた後にコタツを出すと火事にならない」と言い伝えられています。
昔は使われている「石」は本当の石であったと考えられますが、現在は鉄で作られており、少しずつ修理しながら長い間使われています。「石」によってつけられた跡は、踏まないように残されますが、現在は庭先に土のない家も多く、その場合はじゅうたんを厚く敷き、その上をつきます。
先に述べたように、この宗郷町では町内会に所属する家庭は全て回ります。新しく家を建てるなどで初めて見る人にはびっくりされますが、縁起の良い行事なので受け入れてくれるそうです。行事に参加できるのはもちろん、町内会員のみですが、かつては通りかかった外国人の方が珍しがって見学したこともあるそうです。
歌の意味
『亥の子さんの唄』
1 亥の子さんと言うひとは
一の 俵を 踏んばへて
二で にっこり 笑うて
三で 酒を つくろうて
四つ 世の中 いいように
2 五つ いつもの 如くなり
六つ むねを おさめたり
七つ 難儀の ないように
八つ 屋敷を ひろめたり
3 九つ ここらで 蔵をたて
十で とうとう 繁盛せー 繁盛せー
ねとりや、ねとりや、
さもこり、さもこり、わーい わい
数え唄のような歌詞の意味についても教えてもらった。町内会長の木原一充さんが紹介してくれたのは、21年前「郷土の行事や言い伝えを残しておきたい」という地域の人に話を聞いて、文章にしたためた岸田早苗さん。
中学生のころに空襲を避けて横須賀から三原に引っ越してきたため、亥の子をついた経験は無いが、行事を残すため、書にする作業を引き受けました。
他にも解釈はあるかもしれないが、歌の終わりに繰り返される「ねとりや」は「近く」を意味する方言「ネト」に「寄る」を合わせて「近くに寄れや」。「さもこり」は昔田んぼの堤防を守るためにまつられたと三宝荒神がなまった言葉ではないか?と言う話でした。
子どもたちの元気な声と姿を見るだけで、パワーがもらえるこの行事。町内会や子ども会の行事が少なくなっている現在ですが、伝統を継いで残っていってくれたら良いなぁと筆者は勝手に思っています。
広報みはら2021年10月号「未来へつなぐ大切な祭」掲載